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第142回『IF I AM』(3/13)

カテゴリー:IF_I_AM, 番組情報   タグ:, ,

更新日:2014年03月25日

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こんにちは、ブログライターのたまゆかです。

2011年4月11日、復興を考えるUstream番組『IF I AM』の放送が始まりました。マスメディアが届けられない被災地の「今」を届けたい――『IF I AM』はこれまで、様々なところで活躍している学生団体や被災地の声を発信してきました。

番組配信を行っているNPO法人メディアージの理事である根本聡一郎さんは、「大事なのは届け続けること。3,11になれば報道が一気に増え、過ぎると潮を引くようになくなってしまうのは納得がいかない。僕たちは必ず毎週、復興を考えていく」と言います。

東日本大震災から3年。第142回『IF I AM』では、スタッフが最近経験してきたことを伝えながら、最後にはゲストも交え、今日も復興を考えていきます。

番組内容

出演者

MC 根本聡一郎さん(NPO法人メディアージ理事)

漆田義孝さん(NPO法人メディアージ、ファイブブリッジスタッフ)
洞口駿さん(東北大学1年)

ゲスト
千葉俊哉さん(宮城大学1年)
貞弘友里愛さん(宮城大学1年)
竹中陸さん(横浜国立大学4年、文芸誌WORLD編集長)

プログラム

スタッフトーク
・漆田さんより:荒浜を訪れて
・洞口さんより:ReRootsの取材をして

ゲストトーク

番組録画

第142回『IF I AM』の録画はこちら

スタッフトーク

Hope for project

メディアージのスタッフ、そしてこの番組の配信場所であるコミュニティスペース・ファイブブリッジのスタッフでもある漆田義孝さんは、今年の3月11日、仙台市で唯一海水浴場のある、荒浜海岸(仙台市若林区荒浜)を訪れました。

そこで行われていたHope for projectの様子を動画にまとめてくださったので、まずはそれを見ました。

動画の中では、震災のあった2時46分から1分間黙祷をしたあと、3時半、たくさんの人が空に風船を飛ばそうとしています。Hope for project代表の高山智行さんは、イベントのために集まった人々に向けて、スピーカーで次のように言っています。

「誰かの生活を楽にするものではないけれど、ここに来た人たちが少しでも穏やかな気持ちで帰っていただければ。ここに来れなかった人たちのためにも、みなさんの声にならない声を、想いとして届けていただければと思います。

届いても届かなくても、思いを伝えることが大事なんじゃないかと思って、この3年間活動を続けてきました。それでは、よろしくお願いします」

図2

「5、4、3、2、1、0!」

図3

荒浜の風景と、それぞれの思いが託された風船が一斉に空へ飛んでゆく様子を、ぜひ録画の中でご覧になってください。

風船の意味、キャンドルの意味…

動画のあと、Hope for projectについて、漆田さんの説明がありました。震災後の2012年3月11日から毎年、午後3時頃に風船を飛ばし、夜にキャンドルを点しているそうです。場所は、現在解体中で授業の行われていない荒浜小学校。

「風船を飛ばすって、見る人に委ねるということだと思うんです。風船が空に飛んでいくのを見て、みなさんどんなことを連想するのか。それを荒浜で、当事者の人たちがやっている。キャンドルに火を点すのも、何かしらのアイコン、象徴ですよね。

私は東北出身で、震災当時も仙台にいたんですが、直接親族が亡くなったわけではないので、彼らと全く同じ意味での被災者ではないんです。花火などのイベントは本当に意味があるのかなと考えたり。実はよくわからない立場だったんです。何か意味があるんだろうな、と思っていた程度でした。

今回、高山さんの話を聞いてわかったんです。風船の意味は人それぞれで、思いを言葉にするイベントではない。自分たちの気持ちを振り返って整理する、という意味合いがひとつあるんだなと思いました。

私のように、単に震災が大変だっただけの人には必要ないのかもしれないけど、もっと深刻な経験をした人には必要であったりするのかな。曖昧だけれど、それをやり続けなければならない人がいるということが、高山さんの話で腑に落ちました」

荒浜という地域

荒浜は、ある意味特殊な場所です。荒浜は仙台市ですが、一般的には仙台市と聞いて駅を連想してしまうことによって、仙台市が被災地だという言葉に説得力がなくなっている、と漆田さんは感じています。

仙台市の沿岸部は瓦礫の撤去も早く、被害の大きかった地域としてあまり注目されていません。しかし、コミュニティ形成の大きな動きがない、土地の使い方が決まっていないなどの問題が残っています。

荒浜が特殊というもうひとつの面は、沿岸部でありながら農業ができるということ。伊達政宗の時代に松を植えたので、潮風が来ないからだそう。沿岸部でありながら農業ができる地域は全国でも多くなく、それを踏まえた支援が難しいため、自助団体が多いという現状です。

漆田さん「農業と海水浴、仙台市民にとってはこういう場所だよね」

根本さん「深沼海岸=海水浴ってみんな思うけど、今は(防潮堤復旧工事のため)入れない。市民にとっても、印象ががらっと変わってしまった場所でもあるかも」

漆田さんの最後の言葉です。

「ここ1、2週間で塩釜と石巻に行きました。塩釜は津波被害からの復興も早く、店も場所を移転して再開しています。石巻にはいろんなコミュニティがたくさんあって、東京からも人が入っている。すごい人、おもしろい人が多いんですよ。震災をきっかけに出会った二人が、駅近くのコミュニティスペースを使って結婚式をあげていたりもして、こういうのっていいエピソードですよね。

それぞれの地域を歩いていて、これからどんどん栄えていってほしいところがたくさんあるなと思いました。今どうなってんのかな、という気持ちで来てもらえれば、それなりに楽しめますよ」

復旧から復興へ ― ReRoots

次に洞口駿さんのトーク。洞口さんは、河北新報社の「記者と駆けるインターン」をしており、本格的に東北の取材をしている最中です。

現在は、被災地の中小企業というテーマで記事を書いているそう。この話は記事を楽しみにして、番組では、一般社団法人ReRoots(代表:広瀬剛史さん)を取材したときの話を聞きました。

ReRootsとは、仙台市若林区を中心に、農業支援の活動を行ってきた一般社団法人です。最初はサークルで、学生が49人。主に農地再生の活動、つまりごみ、ガラス、陶器、ビニールの破片を拾ってきれいにするという途方もない活動をひたすら続けて、3年。

これまでやってきたのは復旧、元通りに片付けること。ただし、農業としてのコミュニティが戻らなければ、以前のような農業地帯になりません。どうやったら戻るのか――農業は、震災前からたくさんの課題を抱えていました。まず農業をやりたい若者が少ない、やりたいと手を挙げたとしてもどこに行ったらいいかわからない、という現状があります。

そこで、ReRootsは農地再生や収穫といった農業支援をいったん止め、防災教育、農業体験など、農村の+αを作り出す動きを開始しています。農業をやりたい人たちの仲介役として、ReRootsがマネジメントをやっていくことになります。

動かなければ気づけない

洞口さん「農業経済を復活させるためには、もう売る場所がなくなってしまったのも大きいし、農家一人の力でできないことが状況として出てきているので、そこで仲介役なんですね。震災から3年経って、支援している団体はいろいろあるけど、どこかで変わらなきゃいけないポイントがある」

根本さん「震災直後の行動はわかりやすい。沿岸部に行くと瓦礫が積もってたし、そういった支援はやっていて気分がいい。それが、ニーズがだんだんわかりにくく、難しくなる。ReRootsは畑の中に瓦礫が入ってるというところから、さらにニーズを拾ってきたということだよね」

洞口さん「ReRoots代表の広瀬さんは、活動をやっていく中で発見したんです。何かをやっていかないと新しいニーズに気づけない、と。ReRootsでは、瓦礫を拾って農家の方と話し合うところで、難しい現状が見えてきたそうです。広瀬さんも、もともと農業に詳しかったわけではないんですよ。もとは寿司屋さんだった。

今詳しい必要はない、ってことだと思うんです。僕も去年の4月にいろいろな活動を始めて、1年間やっていく中で、100のうちひとつ見つかればいいと思ってたけど、まだ全然見つからない。でも、動かなきゃいけない。

詳しくなくても、動いていく中で詳しくなるし、なったところで発見できる。何もしないで考えるよりは行動して、その中で立ち止まるべきです」

根本さん「確かに、ニーズが専門化してると聞いて、じゃあ何もできないじゃんって考える人がいるかもしれない。でも、今詳しい人だってもともと詳しくなかったんだよね」

震災時の中学生、高校生世代

洞口さん「3年経って、今から何か始めるって難しいですよね。でも、僕らの世代って震災のときは中学生、高校生。震災時に何もできなくても、今大学生になって、何かできるわけですよ。足を運んでみることができる」

根本さん「震災があったときに大学生だった人って、ほとんどいなくなってる。震災を大学時代に経験してる人には強烈な動機があるけど、大学生として震災を見てない人は、動機づけも勧誘も難しいよね。洞口の場合、どうして復興支援活動をしたいと思った?」

洞口さん「ただ仙台に住んでいて、すべてが身近だったからですね。自転車で大学に通うときに仮設住宅を通るし、風化を防ぐとか忘れるなと言われても、いや、そこにあるし、という感覚でしたね」

根本さん「今からでも本当に遅くないよね。大学生が団体を作っても、新しい人が入ってきてくれないとつぶれてしまうところはけっこうあるんじゃないかな。1年経ってよく聞くのが、何かしたかったんだけど、という言葉。僕は、その後に何が続くのか気になるんですね。もう遅い、なのか、自分には何もできない、なのか。それは違う」

 復興はこれからも

洞口さん「何十年も続いて震災復興ですからね。もう3年、じゃなくて、まだ3年」

根本さん「震災が始まってから3年、と考えてほしいんですね。震災から3年というと、もう震災が終わったみたいだけど、終わったわけじゃない」

ゲストトーク

最後にゲストを交え、これから自分たちにできることを考えました。

以前は、『IF I AM』の番組のすぐあとの時間、録画をせずにその場にいる人たちで復興を考えていく「アフタートーク」を行っていたのですが、ちょうどそのような形です。漆田さんと洞口さんの話を聞いての、ゲストの感想から始まりました。

千葉俊哉さん「瓦礫の話を聞いて地元を思い出しました。僕は気仙沼出身なんですが、震災の後に見に行ったら瓦礫まみれで、普段通ってた書店さえも見えなかったんです。ものが全部撤去されたあと、そこからどう変わっていくのかなと思いますね。新しいものができてほしいなとは思うんですけど、それが被害のあったところではなくて、被害の少なかったところに追加されてる感じなんですね。被害のあったところにはもう建てないという空気ができていて、確かに津波の心配はありますけど、何もないのも寂しい」

貞弘友里愛さん「私は根本さんが言っていたような、何かしたかったんだけど、というタイプでした。家は山の方にあって、津波などの大きな被害がなかったので、震災と聞いて地震のイメージしかないんです。テレビを見てどうなってるか想像はつくし、自分も何かしたいんですが、直接目を向けるのがこわいっていうか。画面だけ、紙面だけだと、何かを介していて、どうしてもまだ受け身なんです。でも、洞口くんの『もう3年、だけどまだ3年』というのを聞いて、沿岸部に足を運ぶことが、私に今できることなのかなと思いました」

竹中陸さん「コミュニティをどうするかって前からあった話じゃないかな、と思ったりして。今、農業をやりたい若者という切り口って、無理があるんじゃないのかなと。震災があって、直後は僕も瓦礫を片付けるボランティアをしたりしてたんですが、ここ2年ほどはしていなくて、ニュースでもボランティアが少なくなったと言っている。何か使命というか、動機を探してるところがありますね。僕の中にはもうあって、文芸誌を作ったりしたんですけど、まだ突き抜けられないですね」

根本さん「たくさんの人にとって、地震はわかりやすいインパクトだったよね。もう一回くらいわかりやすいインパクトが…もう一回地震が来てほしいという意味では全くないんですが、動く衝動がなきゃいけないのかもね。竹中さんは、文芸誌を作った理由は?」

竹中さん「平成生まれの文芸誌ということで、いろいろな問題に対して、昭和の人の語り口じゃない意見をどんどん出していこうよというものです。さっきの農業の話もそうですけど、僕たちが10年、20年、30年後にどういう町に暮らしたいのかという考え方で、物事を見ていけたらと思ってます」

洞口さん「動き出してる人、動き出してない人、いろんな立場の人が今いるじゃないですか。インパクトの話があったけど、今度は人で与えてかなきゃいけないですよね」

千葉さん「沿岸部では屋台村っていって、今までの店がプレハブで再開してるんです。一番すごいのは、学生が一人で商品開発をしたんですよ。かつおを使った、なまり節ラー油っていうもので、ほんのり薄味でごはんに合いそうな。すてきな味でした(笑)。もう販売してて、そういうのも復興ですよね。食品って絶対に勝っていくものだと思うので、そこから考えて、学生が一人で始めることも復興になるんだなあと。やっぱり始めるって大事だな、と」

根本さん「復興商店街ってどんどん出来てるけど、そこって人が減ってたりする。最初のうちはいいなって思っても、気持ちがそこまで続かない、という問題もあるよね。

図4

復興という言葉も難しくなってきたと思う。今、どれくらいみんなに響いてるのかって感じはする」

洞口さん「復興、復興って言われすぎましたね。具体的には何も語れない。僕が考える復興はこうだぜ、って人もいない」

竹中さん「難しい問題ですね。なんで難しいかって、例えば僕は今実家には住んでなくて、東京に一人暮らししてて、そういう空気感の違いじゃないかな。結局、そこに住んでる人がどう思うかという問題になってくる。復興しました、ってマスコミが言っても関係ないんじゃないか」

根本さん「その通りだね。この番組でも、復興がこれです、と出すつもりは全くなくて、復興を考え続けることが大事。一番こわいのは、まだ復興とか言ってるの、まだ震災の話してるの、ってなるときですね。そうならないようにしたいし、そうなっても僕たちは番組をやっていきたい」

第142回『IF I AM』配信時の皆さんのつぶやき

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