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第32回『+Starters』(12/15)

更新日:2011年12月19日

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東京・秋葉原より月に1回お届けしてきた「+Starters」も年内最後の配信となりました。

場所をご提供いただいているアイカフェAKIBAPLACE店をはじめ、ご視聴いただいている皆さんなど、多くの方のご支援のおかげで回を重ねること32回。今回は、「Rescue Japan」代表ドウェイン・ウェインさん(通訳/井上さん)、 「気仙沼復興プロジェクト」から、慶應義塾大学環境情報学部3年の矢ケ崎太洋さんと清水健佑さんの3名をゲストにお迎えしてお送りしました。

また、番組の後半では笑顔311代表、 大矢中子からプロジェクトの進行状況の報告もさせていただきました。本年中にいただいた皆様方のご支援に心から御礼申し上げます。(BGMは株式会社デラさんご提供の「夜カフェピアノ」) >> 第32回「+Starters」の録画

番組内容

MCは宮脇さん、カナコさんのおなじみのお二人でお送りしました。

1.「Rescue Japan」代表ドウェイン・ウェイン氏インタビュー
2.「気仙沼復興プロジェクト」清水さん、矢ケ崎さんインタビュー
3. プロジェクトの進行報告と告知/笑顔311代表 大矢中子

番組冒頭のフリートークでは、カナコさんが「北海道&東日本パス」を紹介。東日本管内なら7日間、乗り降り自由というフリーパスを利用して被災地を訪れてみてはいかがでしょうか?

「Rescue Japan」代表ドウェイン・ウェイン氏インタビュー

日本に住んで4年目のドウェインさんは「RescueJapan」を3/14に立ち上げて以来、東北に支援物資を送る活動をしてこられました。そんなドウェインさんに3月からこれまでの活動内容についてお伺いしました。

Q.メンバーについて
ドウェインさん以外のメンバーは全員、日本人。震災直後、外国人は日本を出国する傾向にあったため、主に日本人の知人に対して声を掛けられたという経緯があったとのこと。震災が起きてすぐにこの活動をしたいと思ったが、マンパワーの確保という課題にぶつかった。そこで、「Rescue Japan」のwebページやfacebookを立ち上げてアピール。その結果、日本人から大きな反響があり、外国人からの反響はほとんど海外からのものだった。その他、日本に来た時に「ビジネスネットワーキングイベント」を主催・企画していたため、元々持っていた日本人と外国人のビジネスマンの広い人脈も「Rescue Japan」立ち上げ時にに大いに役に立った。

Q.物資の送付方法は?
震災直後は、既に支援活動をしているグループを見つけてはコンタクトを取り、その支援団体を通じて送っていた。その後、東京の外資系企業にもコンタクトを取り、トラックを所有している企業の助けを借り、自分たちでリサーチして見つけた避難所に自力で物資を送るように。その頃はそれが一番早く物を届ける方法だと考えて、この二つの方法を取っていた。

Q.物資について
3月は仙台と石巻をメインに「水」と「保存食」と「ジッパー式の保存袋」「ラップフィルム」などを主に送っていた。なぜジッパー式の保存袋やラップフィルムかというと、当初、水がなかった被災地で皿の上にビニールをかけて使用後捨てるという方法を取っているという声をキャッチしたため。
3/14の時点で、すでに多くの知人から送られた物資でオフィスは物で溢れ、物資の保管をする倉庫が必要になったが、1ヵ月後に、外資系の倉庫会社が無償で1フロアを貸してくれることになり、その倉庫を確保できてからは企業に声をかけて物資をどんどん送ってもらうことができた。

Qリサーチはどのように行っていたか?
避難所のリーダーに直接聞いて、リクエストを取ってきていた。

Q当初、素人が行くと足手まといになるという話があったが?
以前、アメリカのインディアナ州に住んでいたころ、ラジオ局でDJをしていた2005年のハリケーン・カトリーナを経験。その際に、支援活動を仕切った経験があるため、自然災害の支援活動は初めてというわけではなかった。カトリーナの時の経験が大きく、震災後も「何かしなければ」という想いがとても強かった。

Q.メンバーを集める際に、どの方法が一番反応が良かったか?
facebook、ネットワークイベント、twitterなど全てのツールの連携で人を集めたが、敢えて1つ挙げるならばtwitterによる情報の拡散が一番早かった。電話が使えなかったこともあり、twitterを使う人がとても多かったのも1つの理由。twitterを通して、仙台大学の教授から返信があり、被災された方々が保存食用のご飯を求めているという情報が入った。これはまさに現場の生の情報であり、このような情報に基づいて動くことが出来た。

Q.現在、物資を送る必要はないのでは?という話も出てきているがその辺りについてどう考えているか?
共感するところはある。物資が潤沢過ぎる場所は確かにあるが、そのようなところは避けていて、現在は福島県いわき市にフォーカスしている。仮設住宅の人の中には低収入で家族が多いというケースや、一切支援を受けていない(届いていない)という場所がかなりあるため、現在はそのようなところにしか送っていない。
3月の段階でも既に各地のニーズが違っていたので、現在もニーズが違うのは当然。3月には地元の行政が管轄しているはずなのに、まったくそうでない状況があったため、ドライバーが物を運びながら現場を訪ね、潤沢な避難所や仮設住宅には物を下ろさず、何もない場所を見つけては下ろしていった。当時ドライバーからもたらされる情報は非常に大きかった。避難所のリーダーが、現状を伝えてくれなかったり、ニーズがあるのに言ってくれないことがよくあったので、ドライバーが見たままの情報を大切にして活動を続けてきた。

活動中、衝撃的だったエピソードは、325名がいる避難所に枯渇しかけた水のタンクが1つしかない場所があった。その避難所を統括している人に「この車に積んであるものを何でもいいから取ってくれ」と提供しようとしたら「そういうことは出来ない。許されていないので」と言われ、ドライバーがこっそり「誰にも言わないから下ろしてください」と話してようやく受け取ってもらえるというような出来事が多々あったこと。上からの指示を待ち、現場で判断が出来ずに色々なことが遅れるという事態が、残念ながら起きていた。

Q.今後は?
2012年に目指すのは
1.物資が十分に届いていないところをリサーチし、データ管理して、重点的に支援すること。
2.イベントの開催。
すでに仮設住宅に住んでいる人向けに、炊き出しやエンターテイメントなどのイベントを行っているが、今後も継続して行っていきたい。

最後にドウェインさんから「日本が大好きなので、ニーズがある限り支援活動を続けていきたい」という、日本人にとって大変ありがたいメッセージをいただきました。

「気仙沼復興プロジェクト」代表の清水さん、矢ケ崎さんインタビュー

Q.気仙沼復興プロジェクトとは
中心は慶応義塾大学だが、他の大学やNPOさんとも協力して活動。清水さんが通っている慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスは、頭文字を取ってSFCと呼ばれ、大変学際的で色々な領域の専門性を持った学生が多いキャンパス。その学生が学んでいる専門分野を使って、学生ならではの柔軟な発想力で気仙沼の問題解決のためのアイディアを出していくことを目指している。

Q.このプロジェクトに参加したきっかけについて
現在、このプロジェクトの代表をしている清水さんは気仙沼出身。震災後、ご家族と連絡が取れない日々の中、何かしなくてはと思いながら何をすればいいか分からず悶々とした日々を送っていたところ、大学の一之瀬先生から声をかけていただき、参加することに。一之瀬先生は景観生態学がご専門で、限界集落を変えていく活動『農村イノベーション』という研究をされており、その研究モデルを気仙沼に当てはめてやっていこうというのが始まりだったそうです。そして、4月上旬に活動について清水さんがtwitterやメールで投げかけたところ、先生と学生が30人くらいが集まりました。(現在は教員11名、学生90人の約100人が参加)
そして、テレビで入ってくる情報はあったが、現場の本当の姿は現地に行かないと分からないと思い、一週間後に飛行機を使って秋田経由で8人の学生と4人の教授で現地調査入りし、その報告から活動がスタート。

矢ケ崎さんは、技術や知識があっても、当初はどこから取り掛かればよいか分からなかったが、気仙沼出身の清水君が取っ掛かりの部分を作ってくれたと思っているそうです。

Q.テレビで見ていた情報と、実際に現地に入って感じたことの違いは?
現地で得られる情報はやはり五感を使って感じるものだったが、その五感を通して「このままではいけない」という感情(第6感)が沸き起こってくるのが大きな違いだと感じた。

Q.活動報告を見るとフィールドワークや調査をしているが?
矢ケ崎さんが取り組んでいるGIS(地理情報システム)を使った活動は、元々アナログのツールである地図をデジタルで分析し、付加価値を持たせていこうというもの。
例えば、通常見慣れている航空写真や地図は上空から見たものであり、国土地理院からも津波の浸水区域は公表されているが、どうしても大雑把なデータであり、データが本当に正しいかどうかの検証もされていない。それらの一つ一つを現地に行って検証し、デジタルな情報にしてから再び紙(アナログ)の情報に戻して現地の皆さんに見ていただくという活動で、矢ケ崎さんは自転車で海岸線を走って調査して回ったとのこと。
津波の浸水区域などは、実際に測るよりも地図で見て可視化した方が早いので、今後のハザードマップ作りの際の役に立てれば、と思っているのだそうです。最先端の技術を使った調査ですが、非常にアナログで地道な活動が支えていることが分かるお話でした。

そのマップは、現在webで見られるようになっています。(こちら)このマップは一見、グーグルマップと似ていますが、そこに人口予測や地形や浸水状況などを見られるようになっているのが、フィールドワークの成果だそうです。(一部パスワードが必要です)

ある教授が
「報道で色々な情報があって震災の悲惨さは伝わっているが私たちの社会は本当の悲しみや寂しさをまだ理解できていないのでは?」
おっしゃったとのこと。清水さんご自身も「その場所に立ってみないと分からないものがあると感じている」そうです。

Q.今後の方向性について
8月に提案集という形で調査から52の政策提案をした。こちら
高台移転や集団移転をする際に、自分たちのデータや提案を情報共有して活かしてもらえたらいいなと思っている。震災復興はまだスタートラインに立ったばかり。学生や大学、地域の人や外の人、色々な立場の人がみんなで力を合わせて世界に誇れる町にしていきたいし、その何らかの力になるため、今後も息の長い活動をしていきたい。

Q.3.11から気仙沼をデザインする~ワクワクする世の中~について
復興のための活動をやるなら色々な人が入ってワクワクする町にしていきたいと考え、同タイトルのfacebookページを開き、今回の震災で気仙沼と関わってくれた皆さんとの議論の場所にしている。気仙沼には大学がないため、18歳から23歳くらいの世代が一度外に出てしまい気仙沼とのつながりが途切れてしまいがち。そこで、日本や海外のどこにいても気仙沼とつながっていけるようにしたいと考えてこのfacebookを立ち上げたところ、実際にシアトルやドイツからのアクセスもあり、なんと現在の最高齢は72歳の方。様々な国や立場の人が参加して気仙沼復興のための意見を交わしている。

「どんな人でもどんな場所にいても自分が町を作っていけるんだよと言いたい」と清水さん。自らを「デジタルネイティブ」呼ぶ、若いお二人の最先端技術とアナログが融合した活動の報告は、若い力による未来への希望にあふれたお話でした。

 

「笑顔311」代表 大矢中子より活動の進行状況の報告

3/19から活動を続けてきた「笑顔311」は、皆様に支えられ、「+Starters」は32回、「IF I AM」を35回配信してきました。被災地への長期的な支援を続けるための情報発信をしてきましたが、最近は色々な皆さんに評価していただき、赤い羽根共同募金の助成金によって活動を続けることが出来ています。今後は、現在の東京と仙台から情報発信だけにとどまらず、岩手や福島にも情報発信の拠点を増やしていきたいと考えており、現地での情報発信の担い手を探しています。
番組の生配信にご興味のある方はぜひご一報ください!

そして、更に大募集中なのが、ブログを書いてくれるスタッフ。

このブログによる番組のまとめがあることによって、他の団体の皆さんとコンタクトを取る際に「笑顔311」の活動内容が、ひと目で分かるものとしてとても重要になってきています。東京や仙台には行けないが、何かボランティアをしたいという方にとって、この活動は遠隔地でも出来るボランティアです。ご興味のある方はぜひご連絡をください。

東京が月一回の配信になったのも、マンパワー不足によるところが大きいため、マンパワーが充実すれば、より一層の番組の充実が可能となります。ブログだけでなく、「笑顔311」の活動に興味のある方のご連絡をお待ちしております。

告知

以前、番組にご登場いただいたFaicoさんのライブが大晦日にいわき市で行われます。(詳細はこちら)
今後も、番組にご出演いただいた皆さんの色々な情報を、単発ではなく継続してお伝えできれば、と思っています。

来年も「笑顔311」をよろしくお願い致します。
皆様、よいお年をお迎えください。2012年が笑顔いっぱいの一年になりますように。

第32回「+Starters」番組配信時の皆さんのつぶやき